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岡山地方裁判所 昭和52年(ワ)401号 判決

原告

戸田啓二

被告

大下賢司

ほか三名

主文

一  被告大下賢司は原告に対し、五七八万七一七五円および内金五二八万七一七五円につき昭和五四年三月一八日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告大下禮子は原告に対し、一九二万九〇五八円および内金一七六万二三九二円につき昭和五四年三月一八日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告中迫久美、同庄司勝久はそれぞれ原告に対し一二八万六〇三九円および各内金一一七万四九二八円に対する昭和五四年三月一八日から各完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。

六  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

(原告)

1  被告大下賢司(以下「被告賢司」という)は原告に対し一一七二万七九五〇円および内金一〇六七万七九五〇円について昭和五四年三月一八日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告大下禮子は原告に対し三九〇万九三一六円および内金三五五万九三一六円について昭和五四年三月一八日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告中迫久美、同庄司勝久は原告に対し、各二六〇万六二一一円および各内金二三七万二八七八円について昭和五四年三月一八日から完済にいたるまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行宣言

(被告ら)

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は昭和五〇年一月一九日午後二時頃、被告賢司が運転する普通乗用車(以下被告車という)に同乗していたところ、右自動車は岡山県真庭郡久世町目木四四一ノ三先国道一八一号線の路上において、同車進行車線路端のガードレールに激突して横転した(以下「本件事故」という)。

2  被告らの責任

右事故は被告賢司が安全な速度に減速し、適確なハンドル操作を行つたならばその発生が防止しえたにもかかわらず、これを怠り、慢然時速六〇キロメートルで進行し、しかもハンドル操作を誤つたため発生したものであるから、被告賢司は民法七〇九条に基づき、又博栄は被告車を所有しその運行の用に供していたものであるから運行供用者として自賠法三条に基づき、それぞれ原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

3  損害

(一)(1) 治療費 一二六万〇五二九円

原告は本件事故により左大腿骨頸部複雑骨折等の傷害を受け、このため昭和五〇年一月一九日から昭和五一年六月四日まで(五〇三日間)金田病院に入院し、その治療費として一二六万〇五二九円を支払つた。

(2) 付添看護料 九三万六〇〇〇円

原告の母親が前記金田病院において入院当日から昭和五一年四月三〇日まで四六八日間付添看護をしたが、付添費は一日二〇〇〇円とみるべきであるから四六八日間で右金額となる。

(3) 入院雑費 三一万四〇〇〇円

原告は右(1)記載のとおり五〇三日間金田病院に入院、その後昭和五二年八月五日から同年一一月二四日まで一一二日間、昭和五三年一二月一一日から同月二三日まで一三日間労災病院に入院した(合計六二八日間入院)。入院には雑費として少くとも一日五〇〇円を要するものであるから、その金額は三一万四〇〇〇円である。

(二) 休業補償 一七二万円

原告は当時八幡理容所に理容師として勤務し月平均八万円の収入を得ていたが、本件事故による傷害のため前記のとおり金田病院に一七か月、岡山労災病院に四か月と〇・五か月入院し、合計二一・五か月の間休業せざるをえなかつたので、これによる損害。

(三) 後遺症による逸失利益 五八六万〇七七一円

原告の左足は、本件事故のため右足に比し三・一センチメートル短縮してしまつた(後遺障害等級第一〇級)。従つて原告の労働能力喪失率は二七パーセントであつて、原告の月平均収入は前記のとおり八万円であるから、その逸失利益をホフマン式計算方法により算出すること

8万円×12か月×22611(ホフマン係数)×0.27=586万771円となる。

(四) 慰藉料

(1) 入、通院による慰藉料 一九七万円

(2) 後遺症慰藉料 二〇一万円

(五) 弁護士費用 一〇五万円

4  博栄は昭和五四年一〇月九日死亡し妻である被告大下禮子が三分の一、長女である被告中迫久美、長男である被告賢司、二男である被告庄司勝久がそれぞれ九分の二の割合で右博栄の債務を相続により承継した。

5  以上の損害額は合計一五一二万一三〇〇円になるところ、原告は被告らから治療費として八五万四七五七円、その他として一二万三〇〇〇円、自賠責保険から二〇一万円及び四〇万五五九三円合計三三九万三三五〇円を受領しているのでこれらを差し引くと残額は一一七二万七九五〇円となる。

よつて原告は被告賢司に対し一一七二万七九五〇円および内金一〇六七万七九五〇円(弁護士費用を除く額、以下についても同じ)について本件事故後である昭和五四年三月一八日から、被告大下禮子に対し金三九〇万九三一六円および内金三五五万九三一六円について本件事故後である昭和五四年三月一八日から、被告中迫久美、同庄司勝久に対し各金二六〇万六二一一円および各内金二三七万二八七八円については事故後である昭和五四年三月一八日から、各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2記載の事実は争う。

又、博栄が被告車の運行供用者であつたとの点は否認する。

(一) 博栄は本件自動車を商用に利用し、その維持管理も自らこれを行つていた。特に鍵は自宅の水屋の抽出に入れ、管理していた。

(二) 本件事故当日、博栄は被告賢司から「原告の依頼で同人を迎えに行くので被告車を貸して欲しい」との依頼をうけたが、当日は雪が降つていたことから路面凍結の虞れがあつたこと、被告賢司の運転技術が未熟であつたこと、被告車は本件事故の約一か月前に購入したものであつて、被告賢司は自動車に慣れていなかつたことを理由にその使用を拒絶した。しかし被告賢司は博栄が外出した後、博栄に無断で被告車を運転し、本件事故を起こしたものである。しかもその使用目的は前記のとおり変更され、原告方(八幡理容店)から津山に向かう途中本件事故を起こしたものであつて、博栄の関知しないものであり、博栄はまた原告とは全く面識もなかつた。

(三) 以上によれば博栄には本件事故当時、被告車の運行支配、利益は存しなかつたものというべきである。従つて博栄は運行供用者に該当しない。

3(一)  同3(一)記載の事実は知らない。

(1) 原告は金田病院において治療をうけ、昭和五一年六月四日の退院時には「治ゆ見込」となつていたにもかかわらず、原告は同種の治療をうけるためその一年四か月後に岡山労災病院に入院したものであつて原告の再入院は通常予測しえないものである。

(2) 又原告は金田病院に入院中特別室を使用し、その使用料金も治療費に含めて請求しているが、特別室の使用料は通常生じうる損害とはいえず、その料金は損害から控除されるべきである。

(3) 付添看護料については、金田病院はいわゆる完全看護制をとつているので本来付添は不要であり、付添看護費用を負担すべき理由はない。仮に当初付添が必要であつたとしても、松葉杖その他介護器具で歩行が可能となれば付添は不要となるので、医師から付添は不要との指示がなされた昭和五〇年五月頃の時点、或いは遅くとも原告が杖なしで歩行することができるようになつた同年九月頃の時点以降の付添は不要というべく、右時点以降の付添看護料を被告らが負担すべき理由はない。

(二)  同(二)記載の事実は不知。

原告の再入院は通常予測しえないものであること前記のとおりであり、従つてその後の休業も通常生じうる損害とはいえない。

(三)  同(三)記載の事実のうち、原告の左足短縮が本件事故に原因するとの点は否認、その余は不知。

原告の左足短縮は再入院した岡山労災病院での手術の結果であつて、前記再入院と同様通常予測しえない結果である。しかも原告の左足が三・一センチメートル短縮したとしても、理容師としての仕事に支障はなく、現に理容師として稼動しており収入減もない。従つて逸失利益もない。

(四)  同(四)(1)、(2)及び(五)は争う。

三  被告らの主張

1(一)  過失相殺

(1) 原告は普通乗用車を所有していたが、本件事故の約一週間位前に本件事故現場付近の「たわ」で本件事故と同様の、路面凍結によるスリツプ事故を起こし、自車を破損させている。

原告は本件事故の際、本件自動車の助手席に同乗し前方を注視していたのであるから、本件事故現場の「たわ」にさしかかつたならば、予め路面凍結の可能性を被告賢司に話して注意するか、速度を落すように指示して事故を防止すべき義務がある。しかるに原告はこれを怠つたのであるから、本件事故の発生については原告にも過失がある。

(2) 原告が本件自動車に同乗するに至つた経緯は次のとおりであつて、原告はいわゆる好意同乗者に該当する。

即ち、原告と被告賢司は知り合つて間もない間柄であつたが、同被告は突然原告から同被告方に遊びに来るについて、自動車で迎えにきて欲しいと電話で依頼されたので、被告車を運転して同じ久世町内にある八幡理容店まで原告を迎えに行つたのである。ところが原告は、近くの喫茶店で女友達と会う約束をしていたことから、被告賢司にその旨伝え、喫茶店に立ち寄ることとなつた。喫茶店で原告と女友達が話合つた結果、原告は被告賢司方に来るとの当初の目的を変更して、津山でその女友達と映画を見ることとし、同被告賢司に津山市内まで原告らを送つてくれるよう依頼した。そこで同被告は原告の右依頼を承諾し、原告らを被告車に同乗させ、津山へ向かう途中、本件事故を起したものである。

(3) 右の事情を考慮すると、本件事故については原告もその損害を負担すべきであり、その割合は被告賢司四、原告六というべきであるから、その割合で過失相殺すべきである。

(二)  相殺

(1) 被告賢司は本件事故により左橈骨々折・顔面打撲・口内挫創の傷害をうけて入院治療をうけ、その際入院費用として六万九九三〇円を支払つた。又、博栄は、本件事故により被告車が破損したので、これを他へ安価で売却した。この損害は九〇万円である。

(2) 原告は前記のとおり本件事故の発生につき過失がありその割合は六割であるから被告賢司及び博栄の蒙つた損害の六割を負担すべきである。よつて右入院治療費の六割である四万一九五八円及び博栄の損害の六割である五四万円は原告が負担すべきである。

(3) 被告賢司及び博栄は昭和五四年四月一六日の口頭弁論期日において右四万一九五八円及び五四万円と原告の損害賠償請求権とをその対等額に応じて相殺する旨の意思表示をした。

3  弁済

(一) 被告らは原告に対し原告の自認する八五万四七五七円の外に、昭和五〇年一月一九日二万円、同年五月二〇日頃二〇万円、同年九月九日二〇万円、同年一〇月一四日一〇万円をそれぞれ支払つた。

(二) 原告は自賠責保険から原告主張の二〇一万円の外に六〇万五五九三円を受領した。

四  被告らの主張に対する認否

被告らの主張はいずれも否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  本件事故の発生

請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

二  責任原因

1  被告賢司

いずれも成立に争いのない甲第四号証の七、八、一〇、一二、一五及び原告、被告賢司各本人尋問の結果によれば、(1)被告賢司は被告車を運転して勝山方面から津山方面に向けて本件事故現場付近を時速約六〇キロメートルで進行中、前方約四〇メートル先の、右にカーブした付近の道路の路面が凍結していることを発見した、(2)そこで同被告は時速四五キロメートルに減速してそのまま進行したところ、右のカーブ附近で滑走の危険を感じたのでブレーキを踏んだが、自動車の後部が進行方向右に振れ左斜め前方に滑走した、(3)そこで更に右にハンドルを切つたが、その際右前方約五〇メートルに対向車を認め、同車との衝突を避けるため再び左にハンドルをきつたところ、被告車は左斜め前方に約一六・六メートル滑走して本件事故に至つたことがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、本件事故は被告賢司の凍結路面でのスピードの出しすぎ及びブレーキ・ハンドル操作の誤りによつて発生したものであるから、被告賢司は不法行為者として本件事故によつて原告の蒙つた損害を賠償しなければならない。

2  博栄

博栄が本件事故当時被告車を所有していたことは当事者間に争いがない。被告らは博栄が当時被告車に対する運行支配・利益を失つていた旨主張するので、この点について判断する。博栄、被告賢司の各本人尋問の結果によれば、博栄は通常被告車の鍵を自宅の水屋の抽出しに保管していたこと、本件事故当日、被告賢司は父である博栄に「原告を迎えに車で行つてもいいか」と言つたので、博栄は「寒いし危ないからいけない」と答えたこと危ないと言つたのはその日の朝雪がちらちらしていて、路面に積雪はなかつたが寒かつたので路面が凍結しているかも知れないと思つてそう言つたものであること、しかし被告賢司は「すぐ帰るから」と言つて被告車に乗つて出掛けたが、博栄はそれ以上に運転を禁止するような方法はとらなかつたこと、後記認定のとおり被告賢司は原告が被告賢司方へ遊びに来るのでそれを迎えにいつたものであつたが、原告を乗車させて同被告方へ向つている途中で原告から喫茶店へ立ち寄るよう頼まれ、一たん喫茶店に立ち寄つた後更に津山へ行つてくれと頼まれ、結局津山へ向つて走行していたが、その途中で本件事故が発生したものであることがそれぞれ認められるが、右認定の事実に照らしても、博栄が特に厳しく禁止したにもかかわらず被告賢司がこれに反して被告車を運転したものともいえないし、又特に目的地について格別に注意し、目的地外への立寄りを禁止していた等の事情も見受けられない本件の下では、博栄の被告車に対する運行支配、運行利益はいまだ失われていないというべきものである。

三  損害

1  原告の傷害

いずれも成立に争いのない甲第一号証、第五号証、第七号証、証人金田隆弘、同村川浩正の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故により左大腿骨頸部復雑骨折、左膝部左手部擦過傷、胸部打撲の傷害をうけ、事故当日(昭和五〇年一月一九日)金田病院に入院し、同月二二日同病院において骨折観血手術外の諸処置を受け、昭和五一年六月四日まで入院したこと、しかし原告の左大腿部の骨は内反していたため左足が短くなり、又左右の大腿部の骨の形が異つていたため股関節に痛みを感じていたこと。そのため原告は昭和五二年一一月二五日岡山労災病院に入院し、同病院において左足を長くするため左大腿骨転子間骨切り術を行い、昭和五三年一月一二日までの間入院し、一応治癒したが、原告は左足が右足に比して三・一センチメートル短縮したことがそれぞれ認められ、これらの事実を総合すると、原告は本件事故により左大腿骨頸部復雑骨折等の傷害をうけ、そのため左足が右足より三・一センチメートル短縮するという後遺障害を受けたということができる。被告らは原告の岡山労災病院への入院、後遺障害の発生は通常予測しえない事情である旨主張し、前掲甲第一号証、証人金田隆弘の証言によれば原告が金田病院を退院した昭和五一年六月四日時点における医師金田隆弘の診断では原告の左大腿部の内反はさほど認められず、治癒見込と考えられていたことが認められ、又岡山労災病院への入院は前記のとおり金田病院退院後一年五か月後であることも認められるが、他方証人村川浩正の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は退院後もずつと左股関節部に痛みを感じていたもので、診察をした村川医師も、レントゲン写真等でみた結果、左股関節に内反があり、これなら痛いだろうという所見であつたこと、そこで内反した部分を起す手術(左大腿骨転子間骨切り術)を施したこと、労災病院における初診時左足は右足に比して約五センチメートル短かかつたこと、右再入院まで原告が新に骨折した等の特段の事情はないことが認められ、そうすると右労災病院への入院、後遺症の発生も本件事故と相当因果関係のある損害というべきである。

2  積極損害

(一)(1)  治療費

成立に争いのない甲第二号証の一ないし三によれば、原告は金田病院における治療費として(特別室の使用料を含め)合計一二六万〇五二九円を要したことが認められる。

被告らはこのうち特別室使用料は通常生ずべき損害に該当しない旨主張するのでこの点について判断するに、前掲甲第二号証の一ないし三、乙第八号証の一ないし一七、成立に争いのない甲第一号証、乙第一三号証の一ないし二一、証人金田隆弘、同戸田小夜子の各証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故当日である昭和五〇年一月一九日から同年九月二六日ころまで特別室(一人部屋)に入室しその間室料として一日一五〇〇円、合計三八万一〇〇〇円を支払つたこと、金田医師は入院当時原告の傷害の程度からみて、特別室に入室することが相当だと判断しこれを使用させたものであつたが、その後も原告やその母の強い要望があつたのでそのまま特別室を使用させていたこと、原告は観血手術後骨が固まるまでには三か月以上かかつたが、その後は痛みを訴えることもなく、術後の経過は良好であつたことが認められ、右事実に前記原告の傷害の程度を合わせ考慮すると、入院当初においては原告が特別室を使用する必要性はあつたと考えられるが、その後の経過等原告の病状に照らすと、その傷害の程度、予後の治療を考慮しても本件事故後三カ月余を経過した昭和五〇年五月一日以降は治療上特別室を使用する必要性はなかつたものというべく、従つて同日以降の特別室差額は通常生じうる損害とはいえない。そうすると前記三八万一〇〇〇円のうち、昭和五〇年四月末日まで一〇二日間の特別室使用料金一五万三〇〇〇円は本件事故による損害であり、結局治療費として被告らに負担させるべき損害は一〇三万二五二九円である。

(2)  付添費

前掲甲第一号証、証人戸田小夜子の証言によれば、原告が金田病院へ入院していた昭和五〇年一月一九日から昭和五一年四月三〇日まで、原告の母である戸田小夜子が原告に付添つていたことが認められる。被告らは右付添は原告入院当初から不要である旨主張するので判断するに、証人金田隆弘の証言によれば、金田病院では付添を全く不要とする意味での完全看護は行なつておらず、重傷者であつても身の廻りの世話はある程度患者側に負担させていたことが認められ、右金田病院の取扱と前記原告の傷害の程度を合わせ考慮すると、その入院当初には付添の必要があつたものと認められ、原告が昭和五〇年九月頃には既に一人で歩ける程に回復し、痛みもない状態が継続していた(前認定)こと、しかしその後も長期入院を余儀なくされている場合には時折の付添を要するであろうことを考えると、付添が必要であつたとみられるのは昭和五〇年一月一九日から同年一一月末までの三一四日間と認めるのが相当であり、その費用は諸般の事情を考慮して一日二〇〇〇円とみるのが相当である。よつて原告の損害額は合計六二万八〇〇〇円である。

(3)  入院雑費

前認定のとおり原告は昭和五〇年一月一九日から昭和五一年六月四日まで金田病院に、昭和五二年八月五日から同年一一月二四日まで労災病院にそれぞれ入院していたものであり(原告は昭和五三年一二月一一日から同月二三日まで労災病院に入院した旨主張するが、これを認めるに足る証拠はない)、諸般の事情を考慮すると、入院すれば雑費として少くとも一日五〇〇円を要するものであるから、右入院期間(合計六一五日)中の入院雑費は合計三〇万七五〇〇円である。

(二)  休業補償

証人八幡靖男の証言並びに同証言によりいずれも真正に成立したものと認められる甲第三号証、第六号証によれば、原告は本件事故当時八幡理容院に勤めていたが、昭和五〇年一月一九日から昭和五一年六月一五日まで、及び昭和五二年八月五日から昭和五三年一月一七日まで欠勤したこと、原告の休業前三カ月の平均月収は八万円であることが認められ、右休業はいずれも本件事故と相当因果関係のあるものというべきである。(原告主張の昭和五三年一二月一一日から二五日までの〇・五月分の休業については、これを認めるに足りる証拠はない。)。従つて月八万円の割合による二一カ月分、合計一六八万円が原告の休業による損害である。

3  逸失利益

(一)  原告は前記のとおり本件事故の結果、左足が右足に比し、約三・一センチメートル短くなつたものであつて、右障害の程度からするとその労働能力喪失率は二七パーセント(後遺障害等級一〇級に該当)とみるのが相当である。そして原告の平均収入は月額八万円で、昭和五三年二月当時(この当時既に左足短縮は確定したとみられる)原告は二三歳で(原告は昭和二九年九月二三日生)、就労可能年数は四〇年とみられるからホフマン式計算方法により算出すること(係数二一・六四三)その現価は五六〇万九八六五円である。

なお被告らは、原告の後遺障害は原告の理容師としての稼働に影響を及ぼすものではなく、逸失利益は存しない旨主張するが、証人八幡靖男の証言によれば理容師の仕事は立ち仕事であつて、左右の足の長さが違えば以前と同様の労働量はこなせないことが認められるし、労働能力それ自体財産的価値を有するものというべく、現実の収益への影響如何によつて左右されるものではないから、被告らの主張は採用しえない。

4  慰藉料

(一)  入院・休業による慰藉料

前記認定の入院並びにその期間、休業並びにその期間及びその他諸般の事情を考慮すると、右入院、休業による原告の精神的損害を慰藉するには一六〇万円が相当である。

(二)  原告が前記後遺障害をうけたことによる精神的損害を慰藉するには、障害の部位、程度等諸般の事情を考慮して二〇〇万円が相当である。

5  以上を総合すると原告は合計一二八五万七八九四円の損害を蒙つたものである。

四  相殺及び過失相殺の主張について

1  被告らは本件事故の発生には原告の過失も競合している旨主張するのでこの点について判断する。成立に争いのない甲第四号証の一〇、一二、一五、原告、被告大下賢司の各本人尋問の結果によれば、原告は本件事故の一〇日程前、自己の自動車で本件事故現場から二キロメートル程津山寄り附近のたわを走行中、積雪が多少あつたのにギヤをトツプに入れたまま走つていたのでスピードが出て、速度を時速三〇キロメートル位に落したところ、後輪が滑り横振りして左側の山林斜面に張つてあつた金網に正面から自動車を衝突させ、自動車を損傷したこと、原告と被告賢司とは数日前に会話した程度のいわば単なる顔見知りの間柄にすぎないこと、原告は本件事故当日被告賢司の家へ遊びに行く予定であつたが、原告の自動車は右の事故のため使用できず、そのため被告賢司に迎えにきてくれるよう依頼したこと、同日午後二時頃被告賢司は同じ町内の原告の住込先である八幡理容店に迎えにいつたが、途中で原告から女友達らが近くの喫茶店にいるので、その喫茶店に立寄るよう頼まれ、ここで一たん下車したが、そのうち原告と女友達らとの間で津山へ映画でも見にいこうという話になり結局被告賢司は原告の依頼により原告とその女友達とを津山まで送つていくことになり、その途中で本件事故が発生したこと、被告賢司としては原告らを津山に送つた後は自宅に帰るつもりであつたことがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。しかしながらこれらの事情があるからといつて、直ちに事故発生の防止のため原告において自己の体験を告げて十分な回避義務を尽すべき注意義務があつたとはいえないし、また、同乗、行く先変更の経過が直ちに本件事故発生に結びつくものとは認め難い本件の下では、いまだ原告に本件事故発生につき過失があつたものということはできない。

従つて被告らの損害賠償請求権に基づく相殺の主張はその余について判断するまでもなく理由がない。(双方の不法行為によつて生じた損害賠償請求権については、自動車の衝突という一個の事実により生じた場合であつても民法五〇九条の適用があり相殺が許されないので―最判三二、四、三〇民集一一巻四号六四六頁、同四九、六、二八民集二八巻五号六六六頁―結局いずれの点からするも被告らの右主張は理由がないものである。)

2  しかし、右の事情は衡平の法理に照らし原告の蒙つた損害を被告らに負担させるにあたり考慮すべき事情というべく、右事情を考慮すると前記原告の損害のうちその三割を原告に負担させることが相当である。

従つて原告の前記損害中九〇〇万〇五二五円が被告らの負担すべき損害額ということができる。

五  弁済

被告らが原告に対し治療費等の名目で八五万四七五七円と一二万三〇〇〇円を支払い、自賠責保険から二〇一万円と四〇万五五九三円が支払われていることは原告の自認するところであるが、被告らは右以外に合計五二万円支払つた旨主張するのでこの点について判断する。

成立に争いのない乙第一、第二号証、大下博栄の本人尋問の結果によれば、博栄は原告が本件事故当日入院した際二万円を戸田小夜子に支払つたこと、その際は入院当初であつたため領収証をもらうことができなかつたこと、次いで同年九月九日二〇万円、更に一〇月一四日一〇万円、博栄は戸田小夜子に支払い、付添費名目の領収証(乙第一、第二号証)をそれぞれ受領したことが認められる。しかし被告ら主張の昭和五〇年五月二〇日頃二〇万円支払つたとの主張についてみると、成立に争いのない乙第六号証、大下博栄の本人尋問の結果によれば、博栄は昭和五〇年五月二〇日頃同和火災海上保険株式会社から一九万四四〇七円の支払をうけたことが認められるが、右事実から直ちに原告への支払があつたと認めることはできず、又前掲博栄の供述中右一九万四四〇七円を二〇万円にして戸田小夜子に渡したとの供述部分も、その後の弁済については領収証があることと対比すると俄に措信し難く、他にこれを認むるに足りる証拠もない。

次に被告らは原告に対し自賠責保険から六〇万五五九三円の支払がなされた旨主張し、博栄の供述中には自賠責の傷害金額が八〇万円である旨の供述部分があり前記のとおり一九万四四〇七円の支払がなされたことも認められるが、右事実から直ちに原告に対し自賠責保険からその差額六〇万五五九三円が支払われたと認めることはできず、他に争いのない四〇万五五九三円をこえて支払われたと認めるに足りる証拠はない。

以上のとおりであるから被告らは合計三七一万三三五〇円を原告に支払つたものと認められる。

従つて被告賢司、博栄は原告に対し前記九〇〇万〇五二五円から右金額を差し引いた五二八万七一七五円を支払うべきである。

六  以上のとおり被告賢司、博栄は連帯して原告に対しそれぞれ五二八万七一七五円を損害賠償として支払うべきところ、更に本件事故の態様、被告らの弁済状況等諸般の事情を考慮し、弁護士費用として五〇万円を支払うのが相当と認められる。

七  博栄が昭和五四年一〇月九日死亡し、妻被告大下禮子、長女被告中迫久美、長男被告賢司、二男被告庄司勝久がそれぞれ博栄を相続したことは被告らが明らかに争わないので自白したものとみなす。

従つて被告らはその相続分に従い被告大下禮子は一九二万九〇五八円、同中迫久美、同賢司、同庄司勝久は各一二八万六〇三九円を支払うべき義務がある。

八  よつて原告の被告賢司に対する請求中五七八万七一七五円および右金員から弁護士費用五〇万円を除いた内金五二八万七一七五円に対する昭和五四年三月一八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める部分、被告大下禮子に対する請求中、一九二万九〇五八円および右金員から弁護士費用負担分一六万六六六六円を除いた内金一七六万二三九二円に対する昭和五四年三月一八日から民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める部分、被告中迫久美、同庄司勝久に対する各請求中一二八万六〇三九円および右金員から弁護士費用負担分各一一万一一一一円を除いた各内金一一七万四九二八円に対する右同日から右同割合による金員の支払を求める部分はいずれも理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも失当であるからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 浅田登美子)

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